Kumi Umuyashiki
神聖さを内に見出す - Happy Yoga: Reason 4 (和訳) #2
Steve Rossが執筆した "Happy Yoga" を、部分的に翻訳しています。
今回は第一章に当たる "Reason 4: "YOU ARE NOT YOUR DAILY GRIND" より、P160~P162を所々要約して、和訳しています。
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Happy Yoga by Steve Ross
FINDING THE DEVINE WITHIN
神聖さを内に見出す
どこにも行く必要はない。
何をする必要もない。
真実でないものを手放していけば良いだけで。
真実はいつも共にあるのだけれど、そうでないものによって、隠されているだけなんだ。
変化するものの、もっと深い場所に、真実がある。
ありふれたものの中に、真実が存在する。
かくれんぼって遊びがあるけれど、人生も同じ、神聖なものの戯れ(leela)なんだ。
すべてに、神聖さと大いなるものを見出して、生きること。
「神聖さは、姿を表したり隠したりする。」
これがヨガの練習者たちの世界観。
例えば美しい夕日を見ると、神々しいと感じる。
これらは「神聖さが表れている」と、表現する。
でも、銃声が鳴り響いているような場所で神聖さを感じることはない。
これは「神聖さが隠れている」、と表現する。
ヨガの練習者にとっては、良い・悪いの極性があったとしても、すべてが神聖なんだ。
状況によって神聖さが表れる状況と、隠れてしまう状況があるって考えるんだ。
でも誰だって、神聖さが表れる方を好む。
愛、思いやり、自由、祝福、真実とかね。
神聖さのないような状況にくると、「これって最悪、意味がわからない。恐ろしいし、苦しいじゃないか」って、人は小さな心の目から、状況を判断する。
でも、もっと巨大で広い目で世界を見ていくと、すべてが理にかなっている。
愛、思いやり、委ねること、それで良しとすること、許すことなど、神聖な側面で世界を見る時には、そういった広い目で世界を見て神聖さを感じている。
でも、神聖さが見えない状況に囚われ続け、抵抗したり、怒りや憎しみを持ったり、暴力的になったり、嫌悪したりばかりしていると、広い目で世界が見られなくなってしまう。
ヨガの練習者は、どうやっていつも神聖さを世界に見出しているのだろう。
神聖さとは、あなたそのものなんだ。
考え続けることを止めてみると、それをもっと体験することができるようになる。
自分が神聖だと感じていくために、今ある瞬間を受け入れていく。
瞬間瞬間が、神聖なものなのだから。
今の状況に抵抗しない。
神聖なものは、表面上では見えないかもしれないけれど、深いところに存在するのだから。
起こるべきことは、起こるんだ。
それについて、ただ、できることを行う。
でも、それについてずっと考え続けることは、苦悩をもっと深めてしまう。
手放してみてはどうだろう。
ヨガのクラスを終えて、自由になれた感覚でスタジオを出ていくことができるんだったら、同じことを、人生でも行えるはずだ。
あなたの人生は、そのままで完全なんだ。
すべての側面がそのままで。
それらはあなたが進むべき方向を示してくれている。
そんな風に人生を見られるかどうかは、自分がどれだけ今の状況に抵抗しているか、による。神聖さは表れているのか、神聖さは隠れているのか?どちらの見方で今の状況を見ているかによって、状況の捉え方が変わってくる。
問題に見えることが、もしかすると、変化を起こすきっかけを与えてくれているのかもしれない。
内でも外でも、愛、喜び、祝福、思いやり、静けさ、優雅さという神聖さで生きるということ。
それが本当のヨガを生きるということなんだ。
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Steve Rossによるダーマトークと瞑想のクラスを開催しています。
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