Kumi Umuyashiki
思考が現実となる - Happy Yoga: Reason 4 (和訳) #1
Steve Rossが執筆した "Happy Yoga" を、部分的に翻訳しています。
今回は第一章に当たる "Reason 4: "YOU ARE NOT YOUR DAILY GRIND" より、P150~P154を所々要約して、和訳しています。
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Happy Yoga by Steve Ross
MEMORIES AND FANTASIES
記憶と幻想
人は役割(医者、アーティスト、生徒など)と自分を自己同一するけれど、人は「過去」や「未来」とも自分を自己同一している。
「過去」や「未来」と自分を自己同一することで、自分に限界をつけている。
未来に起こるかもしれないことや、過去に起こってしまったことに心が囚われ、それらの過去や未来に対して、頭の中で意見を言う。
過去や未来のストーリーへの思い込みが、染みついてしまっている。
そして、どれくらいのエネルギーを費やしてそれらのことを考えていることか・・・。
それらのことは、今起こっていることではないにも関わらず。
そしてそれらの思い込みは、馴染みのある思い込みであり、いつも同じ考えがグルグル、グルグル、頭の中をよぎっていいる。
いつか意識がそのことに気がつくまでは、エゴはこのグルグル繰り返す思考を止めることはない。
「その思考って、新しい思考だろうか?」
「前にも考えていたようなことだろうか?」
「今週すでに200万回くらいそのことについて考えているんじゃないのか?」
「でもその考えは、真実だろうか?」
真実とは、「今ここで起きていることだけ」であり、それ以外のことはマインド(思考)の産物なんだ。
もし、自分が自分の過去や未来ではないとしたら?
頭の中の「裁く声」が自分ではないとしたら?
人ははじめて会った人にも、自分のストーリーを自分のこととして、話したりする。
「ここで生まれて、この学校に行って、お母さんはこういう人で、お父さんはこうで、これをしたいと思っていて、この先あれになりたいと思っています・・・」とか。
そんな自分のストーリーって、聞き飽きるほど聞いてきたと思うんだ。
そのストーリーをもう、捨ててみたらどうだろう?
過去は終わった。
未来は未知だ。
そんなことたちに、エネルギーを費やす必要ってあるのだろうか?
自分を決めつけ、苦しめてしまうような思考の制限に囚われることなく、今の瞬間をあるがままに、楽しんでみたらどうだろう?
頭の中の声を充分聞いていくと、ストーリーが聞こえてくる。
それは同じような人が関わっている出来事の連続であって、それに対して自分は意見を言っていたりして、それが悲劇的だったり、喜劇的だったりする。
でも、今この瞬間にその人たちが本当はどうであるかってことは、頭の中のストーリーには反映されていない。
どんな時だって、「記憶、歴史、過去は、頭で考えていること」でしかないんだ。
だって、過去や未来に対してできることって、それらについて考えること、しかないんだから。
過去や未来は、頭の中にしか存在していないんだ。
時間と共に、思考は変形していく。
未来はどうなるかって予想が、過去に別の色付けをしていく。
そして、過去や未来をベースに「自分は何か」ということを定義付けたいために、真実がわからなくなってしまう。
過去への思いが、未来に対する考えに、影響を与える。
その結果、今がどうあるかということが、明瞭に見えなくなる。
こういう視点から、自分や相手がどんなものなのかを、捉えたいだろうか?
人って、その人の過去や未来のストーリーなんだろうか?
考えるのをやめて、世界を見渡してみて欲しい。
何が起こっているか?
この瞬間にあることしか、存在していないんだ。
頭が語り続けている、自分の過去のストーリーや、未来への考え事に、気づてみよう。
それらのストーリーが、自分ではないってことに気がつき、そういったストーリーが自分に制限を付けてしまっていたことに気がついた時、そこには大きな自由が広がり出す。
未来や過去と自分を自己同一することを止めた時(または少なくとも、自分は過去や未来ではないと気づくことで)、この瞬間を明瞭に、そして自由に受け取っていくことができる。
自分や友達に、いつもいつも、何回も何回も語ってきた、自分のストーリーはありますか?
それらのストーリーにはどんな役割があったんだろう?
それらストーリーが真実ではないって、みんなが知っていたらどうだろう?
そのストーリーを使って、「自分はこんな人なんだよ」って、人に言えなくなってしまったら、自分は一体何者になるんだろう?
人は色んな自己同一性を持っている。でも、そういった自己同一性は時間と共に変化している。例えば10年前の自分と今の自分は、見た目はまったく違うかもしれない。「これが自分」という意識は変わらないけれど、人は時間と共に見た目も中身も変わっていく。
仕事、パートナー、宗教、住んでいるところによっても、アイデンティティは変わる。
あまりにも変わるから、昔持っていた意見と今の意見も異なったりする。
そういうアイデンティティ(自己同一性)を、手放してみたらどうだろう?
この瞬間瞬間は、新たに生まれ変わる機会として与えられているんだ。
過去の人生、過去の時間、数分前のことさえも、どれだけのストーリーを背負って生きるかは、自分次第になってくる。
気づきのある生き方ができるようになったら、過去や未来への囚われから解放され、もっと自由に生きることもできるんだ。
YOU SEE WHAT YOU BELIEVE
思考が現実となる
本来の自分とは、自分のアイデンティティーや自分のストーリーよりも、もっと広大なものなんだ。
どれだけの気づきがあるかによって、「自分とは何か」という体験が、変わってくる。
ヨガの練習者たちは、人生はそのままで完璧であると捉える。
原因と結果の法則が、すべての人が通らなければならない道を、その人に与えていると考える。
その流れに抵抗したり、逆らったりすることは助けにならないのみならず、繰り返してしまっているパターンを強めてしまう。
人生を「不平等で残酷なもの」と捉えてしまうと、すべての状況下や出会う人との関係の中で、不平等と残酷さを体験することになる。
人生を「美しく奇跡的なもの」を捉えると、世界は美しく奇跡的である姿を、何度も何度も体験させてくれる。
同じことをずっとずっと考え続けて生きていると、その同じような状況下で苦戦することになり、犠牲者意識が生まれ、その同じパターンを何度も何度も繰り返すことになる。
これはただの偶然ではない。
人生は、自分が自己同一しているものを、どんな状況下においても、自分に与えてくるからだ。そうすることで、人が学ぶように。
自分をあるがままに見られるようになると、人生もあるがままの姿となる。ヨガ的な生き方とは、そんな風に、シンプルに生きることなんだ。
ヨガの練習者は、「意識が現象となり、人生に表れる」と考える。
ヨガ的に人生を生きるとは、すべてに神聖さを見出すということ。
そして、もう少し注意を払ってみると、人生は僕たちを、その真実へ導こうとしていることに気がつくだろう。
ということは、人生が、僕たちの師(グル)なんだ。
その人生とは、毎日経験する人生すべてのこと。
朝の野菜ジュースも、新聞も、子どもも、親も、仕事も、同僚も、上司も、スーパーのレジのおじさんも、パートナーや妻や夫も、自分が考えていることも。
それらすべてが、「本来の自分」の存在に気づくために、与えられていることなんだ。
「本来の自分」とは、Soul(魂)と呼ばれていたり、the Self (真我)と呼ばれていたりするけれど、完全なる自分の姿のことだ。
その真実に繋がる体験をすることで、自分は他のすべてのものたちとも繋がっていることに気がつくことができる。
そこへ導いてくれたすべての存在や出来事が、実際には、自分の一部であったことに、気がつき始めるんだ。
思考が自分を他から切り離し、自分に制限をつけてしまうことを止めた時、他のすべてのものが自分と繋がっていて、そこに隔たりがないことが、明らかになる。
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Steve Rossによるダーマトークと瞑想のクラスを開催しています。
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