Kumi Umuyashiki
ダーラナ、ディヤナ、サマディ
2月12日(土)、2022年に入って3回目のクラスが終わりました。
今回のダーマトークの中で、「瞑想のやり方」についてのお話がありました。
瞑想のやり方を大きく分けると
集中テクニックを使う
集中テクニックを使わない(必要ではなくなる)
ということだったのではないかと思います。
いずれにしても、瞑想は最終的に、「心が静かになる状態」になりたいのですが、そのために特に瞑想の初心者や、頭がざわつきやすい人は、「マインド(思考や意志)の助けを借りる」必要がある、という説明でした。
①マインドの力を借りて集中テクニックを使う
集中テクニックは、頭がざわざわしている時に、そのざわざわを静かにして、一点に意識を集中させるために行います。
それはマインドの力を借りないとできないことです。
例えば、マントラを唱えたり、呼吸を数えたり、視覚的イメージを使うというテクニックも、マインドの力を借りて行っています。
②マインドの力が必要でなくなっていく
でもいずれ、一点に意識が集中してくると、マインドの力(自分で意識して、これに集中しようという努力)に頼る必要が、なくなっていきます。
「努力なしに集中しているという状態」になっていくということです。
それは、自分の意志でマントラを唱えるのではなく、マントラが勝手に鳴り響いているような状態になったり、ビジュアライゼーション(視覚的イメージ)が勝手に起こってきている状態になったりすることを指します。
③自己の消滅
その状態で瞑想を続けていくと、「自分」という感覚が消滅し(マインドがない)、自然に起こっているもののみが存在している、というような状態になります。
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パタンジャリのヨガスートラでは、この①②③の状態を、①ダーラナ、②ディヤナ、③サマディと説明していて、瞑想修行者たちは、これら3つの状態を、瞑想中に行ったり来たりするとしています。
ダーラナ、ディヤナ、サマディを行ったり来たりすることを、「サムヤマ(Samyama)」
と言うそうで、一回の瞑想の中でも、①だけで終わったり、①と②を行ったり来たりしたり、③を少し垣間見れたり、ということが、起こります。
今回のクラスの感想でも、②のディアナのような状態(マントラが勝手に鳴っているのを聞いている)を体験した人もおられたりして、瞑想は外から見ると「ただ静かに座っているだけ」に見えるけれど、意識レベルではとても繊細なことが起きているのだなと、改めて感じるクラスでした。
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2022年2月のクラスも残るところあと2回ですが、皆さんと来週以降も一緒に練習できることを楽しみにしています。
