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  • 執筆者の写真Kumi Umuyashiki

アドヴァイタ・ヴェーダンタとマヤ

更新日:2022年2月23日


2月19日(土)、2022年に入って4回目のクラスが終わりました。


今回のダーマトークの中で、「二元論」と「非二元論」について質問があり、Steveは短く説明していましたが、

「来年1ヶ月かけて、そういう哲学を勉強するリトリートでもする?」

と冗談っぽく笑っていましたね。


Steve Rossが哲学の勉強を伝えるリトリートは、ないですね(笑)


「哲学を学んだ人を連れてきたら、学んだことを全部忘れるリトリートをしようか!」

とクラスの後、おもしろがっていました(笑)


私も何度も「学びを捨てちゃえ」と言われています・・・。


というSteveの言葉に反しますが、私は今日はこのブログで、「二元論」と「非二元論」について少しだけ書いてみたい気持ちになりました。


Steveの説明にもあったけれど、


① 二元論


私たちが日常生活で無意識に生きているとき、世界には「極性」が存在します。


良い ⇔ 悪い

好き ⇔ 嫌い

日中 ⇔ 夜

明るい ⇔ 暗い

高次 ⇔ 低次

神聖 ⇔ 穢れ


など、その他多くの極性で世界はできています。

このように、物事を二分化して認識することを「二元論的なものの見方」と言います。


これをヨガ哲学に当てはめると、


・変化するもの(プラクリティ)

・変化しないもの(プルシャ)


と分ける考え方は「二元論」になります。




② 非二元論

瞑想が深まった状態になると、意識のレベルに変化が起きます。


日常生活で、


良い ⇔ 悪い

好き ⇔ 嫌い

日中 ⇔ 夜

明るい ⇔ 暗い

高次 ⇔ 低次

神聖 ⇔ 穢れ


のような極性で、二分化して物を見ていたところから、


「良いも悪いも、好きも嫌いも、朝も夜も、大きな宇宙の一部だった!!」と、


"体験として" 気がつき始めます。


このように「極性がなくなった」状態のことを、「非二元論的(または一元論的)なものの見方」と表現します。




■アドヴァイタ・ヴェーダンタ■


「非二元論なものの見方」のことを「アドヴァイタ・ヴェーダンタ」と呼びます。


アドヴァイタ・ヴェーダンタでは、真実はひとつ(非二元論)しかありません。


つまり、宇宙には極性は存在しない。

すべてのものが大きな宇宙の表現の一部であり、

私たちひとりひとりも、個ではなく、大いなる宇宙の一部、

生きるも死ぬも、同じこと。


でも普通の人たちはそのように世界を捉えることができず、すべてに極性を見出してしまいます。


そしてその理由は、「マヤ」があるからだとされています。

マヤとは、「幻」のことです。


アドヴァイタ・ヴェーダンタを説いたシャンカラの哲学によると、「真実はひとつしかない」とされています。


しかし「マヤ」が あるから、私たちの受け取る世界が歪み、不完全に見える。


それは私たちがこの世を「目覚めていない視点」で見ているから、真実が見えないのだという意味です。


つまり、真実はひとつしかない(非二元論)が、

私たちが無知なため(マヤ)に、

見方が二通りあると、考えたのです。

(二元論的になったり、非二元論的になったりする)。



アドヴァイタ・ヴェーダンタでは、マヤは真実でもなく、真実でないものでもない、と 言っています。

マヤはそれ独自で存在することはないが、それが物事に影響を及ぼしていると。

マヤとは「不在なもの」のことで、それは「知識の不在=無知」です。

インド哲学では「光か闇」という表現を良く聞きますが、「闇」とは「無知・無意識」という意味です。

「光」は気づきであり、意識の光を当てることで、真実が見えるようになると考えます。



非二元論的なものの見方をするタントラ哲学では、

「プルシャ」や「プラクリティ」の代わりに、


・変化するものを「シャクティ」

・変化しないものを「シヴァ」


と呼びます。


シヴァ(男性)とシャクティ(女性)と擬人化されていると考えることもできますが、


シヴァは「大いなる意識 = 変化しないもの」で、

シャクティは「エネルギー = 変化するもの」のことです。


これらふたつを分離して考えず、シヴァとシャクティはダンスするように、大いなる宇宙に共存していると捉えます(非二元論)。



アドヴァイタ・ヴェーダンタとは、世界のすべてのものに自分を見ることです。

世界のすべてのものと自分が同一であるということ。


すべてのものの輝きが、自分と同一だと知ることであり、すべての生き物、すべての存在するものの中に、ひとつの変化しない永遠の存在があることが、見えるようになることです。

「自分がそれそのもだ」というその体験が、アドヴァイタ・ヴェーダンタです。


"So Hum", "Ham Sa", というマントラも、"Om Hreem Namah" というマントラも、「私がそれそのものだ」、「それが私だ」という意味合いを含んでいます。


Tat Tavm Asi

梵我一如

Aham Brahmasmi

あなたは宇宙のさざ波





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